2009年11月18日水曜日

onetti

■今年は、南米ウルグアイの作家フアン・カルロス・オネッティ(一九〇九~一九九四)の生誕百年にあたる。オネッティは一九六〇年代にラテンアメリカ文学の世界的な隆盛を築いた作家のひとりである。その作品は時の試練をくぐり抜け、いまなお新しい読者を魅了してやまない。邦訳のある『井戸』や『はかない人生』など、主要な作品の新装版も出そろった。また折りよくペルーの著名な作家バルガス=リョサの新作『フィクションへの旅――オネッティの世界』が刊行され、オネッティをめぐる話題をさらに活気づかせている。

ところで独裁政権に祖国を追われたオネッティは、六十代半ばにスペインに移り住んだが、晩年の数年はほとんどベッドに横たわって過ごした。その様子を伝える写真を、ときおり新聞で見かけたが、たいがいタバコを片手に、少しだけ上体を起こして面白くなさそうに、だが、どこかいたずらっぽくカメラのレンズを見つめていた。

バルガス=リョサによれば、現代作家としてのオネッティの功績のひとつは、物語をつくり出すこと自体を小説の題材にしたことだ。登場してくる男女たちは、イマジネーションを頼りに、不満だらけの現実から新たな世界への「逃亡」をみごとにはかってみせるのだという。

そういえば、『井戸』や『はかない人生』でも主人公は、落伍者としての孤独や悲しみや挫折感を味わいながらも、ぎりぎりとところでその日常から脱出して、別の確固たる現実を空想しはじめる。文学の本質はまさにそこにあるのだとリョサは力説する。

ところで晩年ベッドに横たわり続けたオネッティだが、たぶんそれらの日々は彼にとってさほど退屈ではなかったろう。若い頃に書いた『井戸』にはすでに「それだけで充分幸せを満喫できると思った。あとは暗闇に向かって目を開き、適当な夢を見ればよかった」とある。
「北海道新聞」2009-10-20
 

2009年6月21日日曜日

JULIO CORTAZAR■PAPELES INESPERADOS

■亡くなってから二十五年になるアルゼンチンの作家フリオ・コルタサル。その人気はいまも世界的に根強く続いている。日本では昨年、短編集『愛しのグレンダ』が刊行され、文庫本の『悪魔の涎・追い求める男』も読み継がれている(共に岩波書店)。ユーチューブでは、「追い求める男」のモデルといわれる伝説のアルトサックス奏者チャーリー・パーカーの演奏をバックに、コルタサルの朗読を聞くことができる。長くフランスで暮らしたせいか、そのスペイン語は独特な抑揚で、なめらかに、そして淀みなく続くのである。

そんなコルタサルだが、つい先月(五月)、新たな作品がスペインとアルゼンチンで同時に出版され話題を呼んでいる。コルタサルの最初の妻、アウロラ・ベルナルデスがパリの家の古いタンスの中に見つけた大量の原稿である。引き出し一杯分の原稿が、『予期せぬ原稿』という五百ページほどの分厚い本となった。未発表の短編や詩や随想、あるいは『マヌエルの教科書』や『ルーカスと呼ばれた男』といった長編から省かれた断章、講演や序文の草稿などが並んでいる。その多様なありさまは、コラージュ風の構成を好んだコルタサルの作風を思い起こさせる。コルタサルの愛読者や研究者にとって、まさしく予期せぬプレゼントとなった。

ところで、この本の編纂も手がけたアウロラ・ベルナルデスは、コルタサルの遺言により著作権の単独相続人に指名され、この二十五年間、献身的にその著作の管理と保護にあたってきた。とりわけ数年前に編纂した三巻本の大ぶりな書簡集は多くの人を驚かせた。もともとは翻訳家で、フォークナーやサルトル、イタロ・カルヴィーノなどをスペイン語に翻訳してきた。来年で九十歳になるが、『予期せぬ原稿』の大きなポスターの前に立つ彼女の笑顔は、控えめで初々しい。若い頃のコルタサルとの共訳、エドガー・アラン・ポーの全短編は、名訳として名高い。
「北海道新聞」2009年6月

2009年3月14日土曜日

De Gabo a Mario

■一月末にスペインで『ガボとマリオ』という本が刊行され、話題を呼んでいる。ガボというのは、コロンビア出身のノーベル賞作家ガルシア=マルケスの愛称で、マリオは、ペルーの著名な作家バルガス=リョサのことである。

ラテンアメリカ文学の両雄と称せられるふたりの出会いから決別にいたるまでのさまざまなエピソードがつづられている。

一九七六年二月十二日、腕を広げてにこやかな笑顔で近づいてきたマルケスの顔面に、リョサはいきなり強烈なパンチを食らわせた。マルケスは試写室の絨毯の上にひっくり返った。

これはうわさとして今日まで伝わってきた話で、私も半信半疑でその話を聞いてきたが、昨年になって、メキシコの有力紙のスクープとしてそのときの写真が掲載された。

マルケスは左目のまわりが黒く腫れあがり、鼻のつけ根近くにも傷があった。

しかしながら、マリオがなぜガボを殴りつけたのか、その理由は誰にもわからない。そしてこの本を読んでもわからないのである。ふたりとも固い沈黙を守ってきたからだ。

リョサのその時のマルケスへの怒りはおそらく個人的なものだったろうけれど、キューバ革命やフィデル・カストロの評価をめぐって両者がしだいに疎遠になっていったことは確かだ。

それ以前のふたりは、とりわけ一九六〇年代後半のバルセロナでは、家族ぐるみで行き来し、周辺にはコルタサルやフエンテスやドノソといった作家たちがいた。またカルメン・バルセルスやカルロス・バラルといった名だたる出版人たちもいた。彼らによってやがてラテンアメリカの新しい小説群は世界に押し出されていく。

当時のガボとマリオについて語ることは、そのままラテンアメリカ文学の隆盛期の到来について語ることでもある。
「北海道新聞」2009-03-10

2009年1月25日日曜日

ジュノ・ディアス

■米国で2008年度のピューリッツァー賞(小説部門)に輝いたのは、ドミニカ共和国生まれのジュノ・ディアス。受賞作『オスカー・ワオの短くも凄まじい人生』は、英語の中にときおりスペイン語が混ざる独特の文体で書かれており、エネルギッシュでみずみずしい語り口が作品の魅力のひとつになっている。6歳のときにアメリカに移住したディアスだが、40歳になる現在もスペイン語を流暢に話す。

『オスカー・ワオの短くも凄まじい人生』の主人公は、やはりヒスパニックだが、どこにもいそうなオタク的な若者だ。でっぷりと肥え太り、テレビゲームやファンタジー小説に夢中で、心優しいのだけれど、女の子にはまるでもてない。表面的には、それが彼の最大の悩みである。家でごろごろしていると、姉に叱りとばされる。「髪を切ったらどうなのよ。その眼鏡もなんとかして。運動ぐらいしなさいよ。それからそのポルノ雑誌、捨ててちょうだい。いやらしいんだから。母さんだって目のやり場にこまってるじゃないの。これじゃあ、一生かかったって、女の子ひとりナンパできやしないわよ」

オスカー・ワオの孤独でどこかユーモラスな日常とともに、その母親や祖父たちの過去も描かれる。こちらの舞台は祖国のドミニカ。30年あまり君臨した独裁者トルヒーヨの時代と重なる。その意味では『オスカー・ワオ~』は、ラテンアメリカの作家たちが好んで描いてきた独裁者小説の系譜に連なる作品であるともいえる。現にバルガス・リョサも『山羊の宴』(2000年)で同じくトルヒーヨを主人公に取りあげている。

しかしながら、どうやらジュノ・ディアスにはそうした独裁者小説と一線を画したい思いがあったようだ。ディアスのトルヒーヨはなかなか姿を見せない。しかし確かにオスカー・ワオの不運な人生の根源に存在しているのである。「トルヒーヨという人物が提供する物語は、あまりにも強烈だからね。彼について書くとなると、知らぬ間にその神話化に手を貸すことなるんだ。リョサだってそうなったんだからね」とあるインタビューで答えている。

『オスカー・ワオの短くも凄まじい人生』のスペイン語版は、刊行されたばかりである。英語とスペイン語が交錯する文章は、すべてスペイン語だけになったが、幸いにもすぐれた翻訳で、語り口の鮮烈さはじゅうぶん味わえる。ラテンアメリカの文学にとっても特別な意味を持つ作品になっていくにちがいない。
「朝日新聞」2009-01-10