
七百ページ近い分厚い一冊の本になった『ねじまき鳥クロニクル』や、ほどよい厚みの『スプートニクの恋人』を読んでみたが、なかなかみごとな訳である。いずれもルルデス・ポルタとジュンイチ・マツウラの共訳で、村上春樹の文章の都会的な軽やかさと叙情性が申し分なくスペイン語に置き換えられている。――「それは彼女にライカ犬を思い出させた。宇宙の闇を音もなく横切っている人工衛星。小さな窓からのぞいている犬の一対の艶やかな黒い瞳。その無辺の宇宙的孤独の中に、犬はいったいなにを見ていたのだろう?」(『スプートニクの恋人』)これはスペイン語で読んでも完璧である。
ところで近年、頭角を現してきたラテンアメリカの一群の新しい作家たちがいる。たとえばペルーのアロンソ・クエトやボリビアのパス・ソルダンなどだ。じつは彼らも村上春樹の信奉者である。アメリカのコーネル大学の教壇に立つパス・ソルダンなどは、「『スプートニクの恋人』や『ノルウェイの森』を読んで、この日本人が確かにたぐい希な作家であることがわかった。ポストモダンなテクストを書きながらも人を感動させることができる。(中略)そして不可視な現実と実在する非現実の境目に食い込むのだ」とコラムで述べている。
ガルシア=マルケスにしてもボルヘスにしても、この世のマジカルな層を描きだして、多くの傑作を生んできた。そうした巨匠たちを乗りこえる手だてを見つけることがラテンアメリカの新しい作家たちの課題となっている。そうしたなかで、東洋の作家がそれを軽やかでしなやかな言葉でやってのけていることに驚嘆しているようだ。
「朝日新聞」2007-4-21