
同様に、彼の書く小説の外観にしても、登場する人物たちにしても、一風変わっているのである。たとえば「ナガオカ・シキ」の主人公(名前は正岡子規を連想させるが無関係)は、とてつもなく大きな鼻をもって生まれ、若くして仏門に入るが、信仰心の欠如でやがて追放されてしまい、田舎で小さな写真店を営みながら、写真と文学の相関関係についての本を著すと、これがラテンアメリカの作家たちにも大きな影響を与えることになる。谷崎潤一郎と親交があり、芥川龍之介の短編「鼻」のモデルとも目されている、というのである。
小説の巻末には芥川の「鼻」のスペイン語訳が付され、谷崎が撮ったとされる古めかしい写真も、他の多くの昭和か戦前の写真とともに、小説の中ほどに折り込まれている。
「ラテンアメリカという土地柄や、ある特定の時代に縛られたくないんだ。小説というジャンルや、これまでの饒舌なスペイン語の文体からも逃れたいんだ」とベジャティンは言う。その文体はたしかにシンプルで透明感に満ちている。「子供や普通の大人たちに終わりまで読んでもらいたいからね」と述べる。しかし平易な文章でありながら、言葉のひとつひとつが研ぎ澄まされ、すこぶる純度が高いのである。
ベジャティンの作品は、近年さまざまな外国語に訳されはじめている。ときおり読者から「ナガオカ・シキ」という日本の作家についての問い合わせがあるそうだ。しかしすべては、ある会合で好きな作家について話さなければならなかったときに生まれたフィクションなのである。