
2010年11月28日日曜日
■Juan Rulfo

2010年8月4日水曜日
■ガボとフィデル――権力と絆

本書はその篤い友情の本質に迫ろうと、二人のさまざまな発言やインタビュー記事を引用しながら、一九七〇年代の半ばにはじまる親交の跡をたどる。またマルケスの周辺の人びとや、友人たちにも精力的に取材し、マルケスと権力者たちが強力に引き合う不思議さを解明しようとも試みる。「ラテンアメリカの大統領はみんなあいつの友だちになりたがっている。けれどあいつもまた大統領たちの友だちになりたいと思っているのさ」とマルケスの友人の一人が語る。
いずれにせよ、フィデルとマルケスの友情がつづいたこの三十年あまりは、キューバにとって波乱の時代であった。自由や人権をめぐるさまざまな問題が生じ、そのつど多くの知識人や文化人がそれぞれの立場を表明しながら、あるときはカストロ政権を擁護し、多くの場合は激しく非難してきた。本書ではそれらの「事件」を振り返りながら、マルケスの言動が検証されるが、けっきょく沈黙を守ることの多かったマルケスは、バルガス=リョサから「カストロの太鼓持ち」と揶揄され、スーザン・ソンタグから「彼の偉大な作家としての義務は、論戦に加わることだと思います、彼が語らないのを、私は許すことができません」と糾弾されるのである。
こうして革命家と作家の一途な友情は、本書ではしだいにマルケスにとって分の悪い展開になっていくわけだが、「年老いた孤独なカリブの独裁者」への理解と憧れが本来的にマルケスにあったからこそ、『百年の孤独』や『族長の秋』のような奥深い傑作が書けたのだともふと気づかされるのである。
「神戸新聞」2010-06-27
2010年6月20日日曜日
LAURA RESTREPO

冒頭近く、川沿いの田舎町に、まだあどけなさの残る少女が、古ぼけたスーツケースを手に現れ、客待ちの車引きに「この町で一番の店」に連れて行ってと頼む――
《「そこで誰が働いてるか、知ってんのか?」と彼は訊いた。「町の女だぞ」
「知ってるわよ、そんなこと」
「つまり、すっごく悪い商売だぞ。ほんとうに行きたいのか?」
「決まってるでしょ」少女はためらわずに言い切った。「あたし、娼婦になるんだもん」》
横長の美しい目をした混血の少女は、やがて娼婦としての第一歩を踏みだし、石油の採掘現場で働く男たちが押し寄せるラ・カトゥンガの女王となる。源氏名は、「サヨナラ」。魅力的な目、東洋的な面立ち、なめらかな肌。男たちは彼女の虜となる。
むろんこれだけの話なら、たとえ警察や資本家の横暴、労働者や娼婦の悲惨の歴史が描きだされても、ごく平凡な小説に終わっただろう。しかしこの小説は、女性記者である語り手の「私」が、車引きや老女将、売春婦たちから集めまわった数多くのエピソードから構成されている。そして断章と断章が相互に影響し合って、サヨナラの数奇な物語を編み上げていくわけだが、ときおり証言者たちの話は微妙に食い違うのだ。
「娼婦にとって、男に惚れちまうほど大きな不幸はないよ」と知りながらも、その運命をたどることになるサヨナラだが、その行く末についても、異なる証言が並び、さらには語り手である女性記者自身にもまた別の「確信」があるというのだ。そしておそらくこの作品を読む者にも。
著者のラウラ・レストレーポはジャーナリスト出身の作家。スペイン語圏の国々で高い人気を誇っている。
「北海道新聞」2010-04-11
2010年4月18日日曜日
■ANGELES MASTRETTA

日付をさかのぼって見ていくと、文字だけのブログだが、画像に出くわすこともある。三月十三日付けのブログでは、実弟がデザインした鮮やかなオレンジ色のメキシコ製スポーツ車が映っている。日々取りあげられる話題はさまざまで、きのうはキューバの反体制作家(エリセオ・アルベルト)の本の紹介、その前は、「矯正のためには女を叩いていいんだ」と大まじめに語られていた中東のある国のテレビ番組の話(「そいつ頭をスコップでぶちのめしたくなったわ」)。
話があちこちに飛ぶのがブログというものの特性かもしれないが、マストレッタ自身「私はおしゃべりな人たちに囲まれて暮らしている。思い出やとりとめのない話に興じる楽しみを知らない人は、私の家族や友人たち、ブログ仲間を理解できないと思うわ」と書いている。
ところでアンヘレス・マストレッタの小説は残念ながら日本語にまだ翻訳されていないが、大ベストセラーになった出世作「命を燃やして」は映画化され、昨年日本でも公開された。暴力と狡猾さを手だてに権力の中枢にのし上がっていく男の、一見「控えめで古風な妻」の物語である。男尊女卑の社会でヒロインは、マッチョな男たちを注意深く観察して、賢くしたたかな女性へと変貌を遂げていくのである。
その注意深い視線の片鱗は「自由港」でも垣間見ることができる。「私がサッカーが好きかどうかって? 九〇分もひとりで見られるほど好きではないわ。だけどサッカーを見ている男どもを見るのは楽しいわね」
2010年1月15日金曜日
■Vargas Llosa y Neruda

とはいえ、巻き貝のコレクションはどんどん増え、しまいには棚や部屋からあふれ出してしまい、とうとうその大部分を母校のチリ大学に寄贈した。このほどそれらの貝殻のうち四百個ほどがスペインへ送られ、目下マドリードのセルバンテス文化センターで展示されている。潮騒の音が流れる空間で見学者たちは、さまざまな形や色の巻き貝を眺めながら、かつての所有者であった心豊かな海の詩人に思いを馳せるのである。
晩年のネルーダは、チリの首都サンチアゴから車で二時間ほどのところにある海辺の町イスラ・ネグラで過ごすことが多かったが、太平洋を望む海岸の小高いところに建つ家には、陸に乗り上げた船のおもむきがあったという。そこでときおり宴会が開かれ、美食家のネルーダは、若い作家や芸術家たちに美味な料理とワインをふるまった。ペルーの作家バルガス=リョサも若き日に招かれ、そこここに置かれた蒐集品の数々に感嘆の声をあげたひとりだ。木製の船首像や船の舵(かじ)や羅針盤、色とりどりの瓶や海洋図、マッチ棒でつくった帆船を内蔵したボトルなどなど、「まさしく詩的な空間だった」と述懐している。
天井が低く、ドア口が小ぶりな部屋もあり、船室にいるような心持ちにさせられた。そして詩人は、朝目覚めると、双眼鏡を手にとって、ベッドに入ったまま大海原を行き交う船を眺めた。またときには長く繊細な指で、巻き貝の表面をなで、その神秘的な美しさを愛(め)でた――カリフォルニアから/トゲだらけの骨貝を持ってきた/そのすき通ったトゲは蒸気に包まれ/トゲだらけの飾りは凍った薔薇のようだ/内側の口蓋はピンク色に燃え/肉の厚い花冠がやさしく影をおとしている。(松田忠徳訳)
「北海道新聞」2009-12-22
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