
この本のページを繰ると、ルルフォの小説がかならずしも最初からすんなりと受け入れられたわけではないことがわかる。物語の断片化や、異なった時間と空間を行きつ戻りつしながら死者たちの世界を編み上げるその手法が、むしろ奇異で未熟なものとして受けとめられたようだ。もっとも年を追うごとに評価は逆転し、やがて海外でも絶讃される。一九五八年にドイツ語訳、翌年にフランス語訳や英訳が完成した。
とはいえ、読者の期待に反してルルフォは、その後、小説を書かなかった。亡くなるまでの三十年間はひたすら沈黙を守った。最晩年の短いエッセイでは、『ペドロ・パラモ』の初版二千部を売り切るのに四年かかったと回想し、清書した原稿をさらに三回書き直したと記している。その作業を通じて、三百枚あった原稿が半分に圧縮された。
じつはそのタイプライター原稿が、最近、出版社の倉庫でみつかった。また決定稿から削られた断片のいくつかもルルフォの部屋から出てきた。こちらは数年前に『ルルフォのノート』という本のなかに収録された。
というわけで、半世紀たったところでそれらの資料をもとに、『ペドロ・パラモ』ができあがっていった過程がつまびらかにされつつある。ペドロ・パラモという地方ボスの栄枯と盛衰、夢と挫折、その背後に潜む「宿命や業の見えない網の目」をみごとに浮かび上がらせた手だてが、はたして偶然の産物だったのか、それともやはりルルフォの飽くなき推敲のたまものだったのか、明らかになる日も間近いか。
「北海道新聞」2005-5-17