
専門書に近い本が、地方の雑貨屋にも並ぶほどの売れ筋なのは、いささか不思議な感じもするが、バルガス・リョサは、スペイン語圏で圧倒的な人気をほこる作家である。一群の若者たちの過激な日々を描いた出世作『都会と犬ども』(1963)はいまも新しく版を重ねているし、中米の独裁者の暗殺事件をあつかった『山羊の宴』(2000)は世界的なベストセラーになり、映画化の完成も間近いそうだ。
勤勉なリョサは、これまで小説のほかに、数多くの評論も書いてきたが、そのなかでとりわけマルケスやフロベール、あるいはアルゲダスなどの作家論が光る。今回の『不可能の誘惑』は、いわばこの系列に属する作品である。
「私はこの二年間というもの、ひたすらビクトル・ユゴーの著作や彼の生きた時代について考えつづけてきた」と序文に書いてあるとおり、膨大な資料を読み漁り、オクスフォード大学に招かれてふた月ほどこのテーマで講義もおこなった。だがユゴーがいったいどういう人間だったのか、けっきょくのところ永遠にわからないだろうということだけがわかったと告白している。
とはいえ、リョサはやはり作家としての体験や鋭い嗅覚をたよりに、『レ・ミゼラブル』の行間に潜むユゴーを捕らえ、その野望やいかがわしさを随所で暴いていく。リョサのいうユゴーの「野望」とは、神に代わって完璧なリアリティのある宇宙を作品において実現するという一途な欲求だ。むろんこれはデビュー当初からリョサ自身が抱きつづけてきた野望でもある。となると、ユゴーを論じながら、今回も自身の文学について語っているといえなくもないか。
「毎日新聞」2005-10-28