
リマ滞在中に本屋で手に入れたクエトの著作をさっそく読んでみたが、そこに描きだされている風景は、まさしく目の前のリマの風景そのものであった。街が砂漠の中にまで際限なく広がり、モダンな高層ビルと崩れかかる手作りのバラックが同じ視野の中に同等の存在感をもって立ち並ぶ。そして旧市街では、植民地時代のバルコニーが美しくライトアップされ、歴史と退廃、活気と喧噪が渦を巻く。狭い通りにはアンデスの先住民や中国人、白人や黒人や混血がひしめきあい、路地ごとに汗と土と油のにおいが交錯する。そんなリマは、「テンションが高く、小説家にとっては物語の宝庫である」とクエトはいう。
エラルデ賞を受賞した『青い時間』では、有能な若い弁護士が、軍人だった父親の過去の行状を明らかにしていく。そしてここでも等身大のリマが描きだされる。だが、クエトのすぐれたところは、そんなエネルギーに満ちた「現在」のリマには、一九八〇年代から九〇年代のおぞましい「過去」がなお疼【うず】いており、あとの世代であれ、その負の遺産から目をそらすことなく、なすべきことは誠実になさねばならないと指摘することだろう。――一九八〇年代には残忍なゲリラ組織がアンデスに跋扈【ばっこ】し、それを掃討する政府軍も多くの無辜【むこ】の民を蹂躙した。ペルー日本大使公邸占拠事件もあり、われわれにとっても無縁な過去ではない
「北海道新聞」2006-3-28