2012年9月23日日曜日

バルガス=リョサ /Mario Vargas Llosa

■バルガス=リョサは目下プリンストン大学の客員教授としてニューヨークに滞在中である。ノーベル賞受賞を知らせる電話は、まだ夜が明け切らぬうちにかかってきたようだが、リョサはすでに起床し、いつものように仕事にとりかかっていたという。途方もなく勤勉な作家だが、若い頃に心酔したフロベールの日記を読んで身につけた生き方だと言う。

 リョサは一九六〇年代の前半に『都会と犬ども』で華々しく登場し、『緑の家』『ラ・カテドラルでの対話』などの斬新な野心作をつぎつぎに発表して、『百年の孤独』のガルシア=マルケスらとともにラテンアメリカ文学の世界的なブームを巻き起こした。その旺盛な創作欲は七十四歳の現在も少しも衰えをみせない。先だってウルグアイの巨匠オネッティの作家論『フィクションへの旅』を上梓したが、来月早々に、コンゴに足を運んで取材した次の長編『ケルト人の夢』を刊行の予定である。

 一九八二年にガルシア=マルケスがノーベル賞を受賞すると、つぎはむろんバルガス=リョサだとずっと期待されてきたが、ようやく二十八年後に両雄が肩を並べることになった。ペルーのアラン・ガルシア大統領は受賞の一報に、われわれは青春時代からこの日がくるのをずっと待ち望んできた、と述べたが、これはリョサの愛読者の偽らざる心境だろう。

バルガス=リョサの初来日はいまから三十年ほど前、すでに世界的な作家として知られ、国際ペンクラブ会長の要職にあった。作家の大江健三郎や文化人類学者の山口昌男と対談し、学生だった筆者は四苦八苦しながらその通訳をつとめた。リョサは料亭の掘り炬燵に腰かけ、終始にこやかだったが、ストイックな厳格さ、知性への圧倒的な信頼、相手を容易に懐に寄せつけない雰囲気を漂わせていた。

二度目は、アルベルト・フジモリと大統領選を戦っていたさなかで、翻訳した『都会と犬ども』を見せると、ぱらぱらとめくって「さっぱりわからないけれど大したものだ」といって肩を叩いてくれた。しかし、自由と民主主義の旗を高く掲げ、優位に立っていたリョサは、その後みるみるうちに庶民的なイメージのフジモリに差を詰められ、やがて追い抜かれた。選挙のあとパリに飛んで、カフェの前でしょんぼりと佇んでいたリョサの写真が忘れがたい。

とはいえ大統領選に破れたおかげで作家としてのリョサは、復活を遂げ、ドミニカ共和国の独裁者トルヒーヨの晩年を描いた『山羊の宴』や画家ポール・ゴーギャンとその祖母の見果てぬ夢を追った『楽園への道』など、近年の数々の傑作が生み出されたのである。

その延長線での今回のノーベル賞だが、授賞理由は「権力の構造の見取り図を描き、個人の抵抗、反乱、敗北の姿を鋭く表現した」とある。デビュー作『都会と犬ども』で言えば、ペルーの縮図、あるいはラテンアメリカや世界の縮図としての士官学校を舞台に、暴力と狡猾さ、腕力とずるさがものをいう世界を現出させ、そこで詩人、ボア、ジャガー、あるいは奴隷とあだ名される一群の若者たちの「抵抗、反乱、敗北」のドラマをあざやかに描きだしてみせたのである。

四年前のインタビューでバルガス=リョサは、「ふと沈黙する作家がいるけれど、私は死ぬまで沈黙するつもりはない。座って銅像になってしまう人もいるけれど、私は最後まで走り続けるつもりだ」と語っている。その旺盛な創作意欲は受賞後も衰えることがあるまい。
「毎日新聞」2010-10-12